最近、一ヶ月の間に動物達から届けられた私へのメッセージです。
●贈り物@
鳥取県への出張予定を繰り上げ日曜日に米子に入り、大山に登って来ました。頂上横の尾根道でヘビに出会いました。そのまま歩く勇気がなかった私は、ヘビを追い払ってから尾根道を進みました。
次の日に鳥取市での仕事を終え島根県の松江市に入り、市の中心にある公園でまたヘビに出会いました。
これは本当に稀なことが続きました。と言うのは、私は高校時代に山岳部に所属していて、毎月のように山に登っていたのですが、昔の記憶を辿ってみても、山に限らず、道でヘビに出会ったという憶えがないからです(忘れているだけかもしれないが)。
★学び@
人のエネルギーが強まると、共時性が高まり、気づきのための現実も創り易くなります。これも私の中の恐怖心(自分への執着心)を見せるために、連日、ヘビが私の前に姿を現してくれたのです。ヘビは恐怖心を象徴しています。また、私の中にある、自分と姿形を異にする生命(ヘビ)を嫌うというエネルギーもつくって見せてくれました。
これらのエネルギーを持ったままでは、私は新しい地球へは移行できないし、私の役割も果たしにくいので、早く自分の持つ古いエネルギーに気づき、それを認めてあげ、光の下に統一する(自分を愛する)ようにという、神様から動物を経由してのメッセージであります。
【余談@
松江市の仕事では宿を出雲市に取り、出雲大社に寄って来ました。
そしてこの山陰への出張が決まって直ぐに、三重県の鳥羽市から仕事が入って来ました。山陰から帰った後、予定通り鳥羽市へと向かいました。鳥羽市の隣は伊勢市です。伊勢神宮や月読宮にも寄って来ました。
出雲から伊勢に繋がった後、折角だから帰り道に名古屋に寄ろうと作った仕事が、私の思い違いで全然違う方向に仕事を作ってしまい、橿原神宮に繋がってしまいました。・・・・】
●贈り物A
三重県の出張の後、山口・広島と出張が続きまして、広島では広島市近郊の宮島に宿をとりました。宮島の人気のない所で子鹿と出会い、私は持っていたエサを与えようとしたのに、その子鹿は私を警戒して、私の手からエサを取ろうとしません。エサを2メートル先に投げても、半身になって恐る恐るエサに近づいて来て食べる始末です(宮島の鹿は大変に人に慣れているので、こういう鹿に出会うことは本当に珍しいのです)。
そばに別の鹿が二匹やって来たのでエサを与えました。二匹の鹿は私の手からエサを取り私にまとわりつきます。その様子を見ても先の子鹿は私を警戒し続けます。私は『二匹の鹿は私を受け入れているのにお前はどうして私を信じないのだ』『欲しいのなら欲しいと、我慢しないで自分をハッキリ表現すればいいのに』と思いました。
でも同時に、子鹿は私の反映のような気もしました。
●贈り物B
次の日の明け方、散歩をしていたら突然、白い犬が私の前に飛び出して来て、私の足元で激しく吠え始めました。すると今度は、どこからか黒い犬が白い犬の加勢に現れ、二匹で私を威嚇し始めました。犬にとってよそ者の私は、二匹の犬に囲まれて執拗に威嚇され続けました。すると犬の飼い主らしい茶屋のお婆さんが出て来て犬を呼ぶのですが、犬はそれを無視して私に向かって吠え続けます。やっと白と黒の犬から解放された私は、最後の方はいい加減に頭に来てしまいまして、お婆さんに文句を言っていました。
★学びA
人を自分の土地に近づけようとしないエネルギー、人を排他するエネルギー、先の子鹿の場合であれば警戒して自分を表現できないエネルギー、これらは私の持っているエネルギーでもあります。また、白と黒の犬は私の中の陰陽のバランスを象徴しています。
動物達はいろいろなことを私たちに教えてくれています。自分の陣地を守ろうとするエネルギーは、よそ者を警戒し、嫌い、別けるエネルギーと繋がっています。このエネルギーは人間誰でも持っていますが、これは犬に限らず凡ゆる動物達が吸収してくれていると分かります。
動物というのは、他の動物や人を攻撃しようという思いは元来、持っていないようなのです。私にはうまく説明できないのですが、本能と言っても良いのかも知れませんが、彼らには、人間のエネルギーを吸収して、無意識にそう振る舞ってしまうような仕組みが作られていて、彼らの生活の中でそれを犠牲的に消化してくれたり、人間に人間のエネルギーを見せる役割があるとも言えるのです。
彼ら同士で戦うときも、彼らが人間を襲うときも、自然とそういう行動をしてしまう、という仕組みの中に入ることに、彼らの魂は同意しているようなのです。
ヘビもクモも猛獣も、本当は私たちの仲間なのです。動物は皆、既に神様と繋がっていて、地球浄化、人類救済のための一役を担い、それを正しく演じてくれているのです。
だから人が一定の動物と縁を持って拘わったり、或る行動を見せられているということは、そこ(行動)に自分とのエネルギーの共通性があるということであり、彼らの生態や態度から自分を学ぶことが、彼らの犠牲的行動に対する恩返しでもあるのです。
こういう事というのは自分でその現象に気づかないとピンと来ないものです。私も、鹿や犬に「ありがとう」と言い、お婆さんに「ごめんなさい」という想いが肺腑の中から湧いて来たのは、出張帰りの新幹線の中でした。
【余談A
この出張の前、この出張の最後の地の広島は、『今、ちょうど国体が行われているらしいが、今回の出張と何か関係があるかも知れない』と感じました。
と言うのは、以前、広島・長崎と続けて出張が入った時に、両地共に原爆の爆心地の近くに、何気なく宿泊予約をしていたことがありました。長崎の平和公園で光を降ろしながら、『広島・長崎と出張が続いたのは、もしかして偶然ではなく、私には「否定的なエネルギー」のある地域で光を降ろす役割もあるのかも知れないナ』と、そのとき以来、感じていたからです。
そして今回、広島での仕事は昼と夜の二件で、その間どこかで光を降ろそうと思っていると、仕事先へ向かうモノレールの車内で、その沿線に「広域公園」駅とあるのが目に留まりました(仕事の性格上、私の出張には常に大きな時間の空白が相伴います)。昼の仕事を終えて早速、その「公園」へと向かいました。
ところが「広域公園」駅の改札を出ると、「閉会式後は大変に込み合いますので先にお帰りの切符をお買い求め下さい」とのアナウンスがあるではないですか。何と驚いたことに、そこは国体のメイン会場だったのです。そこは公園というより競技場の集合でした。私は食事を終え小高い丘の上に立ち、満員のメインスタジアムを眺めながら光を降ろしていました。ちょうどその時、閉会式が始まったばかりでした。ここまでのことは全部、無計画です。
光を降ろしていますと、『閉会式というのは、バラバラに散って競っていた選手が一同に会する時である。今は、光を降ろすにはちょうど良いタイミングである』 という想いが私の中から湧いて来ました。】
★学びB
帰宅途中の新幹線の中で、今回の出張のことをいろいろと考えて物思いに耽っていると、『あなたにはこんなに奇跡が起きているのに、あなたはまだ私を信じないのか』との想いが湧いて来ました。続いて直ぐに次の想いが湧き上がりました。『私を警戒し、私を信頼しなかった宮島の子鹿は、私の神様に対する心の反映であった・・・・』と。
★こだわりからの離陸(47) 1997年「宇宙の理」1月号
(動物達からの贈り物)